ボイロスプラについて

どうも、こんにちは。てんぱびとです。

 

私はボイスロイドを用いたスプラトゥーン2実況を作っていた。(以下、ボイロトゥーン2)
この記事では、ボイロトゥーン2の動画作成と投稿をしていた頃から現在に至る心境の変化について、自己分析を兼ねてまとめていく。

 

私が初めてボイロトゥーン2を視聴したのは2018年頃になる。懐かしいね。


ボイロトゥーン2というダグ一つでも内容は様々で、ネタから劇場、解説など幅広いジャンルが投稿されていた。つまり、目立った制約は存在しない。そんな「ボイスロイド」と「スプラトゥーン2」が含まれていれば「ボイロトゥーン2」なダグには、ジャンルやブキ、もちろんウデマエも関係なく自分の好きなものを自由に表現できる環境だった。


そこから、次第にボイロトゥーン2動画投稿者間のリグマやプラベ、大会といった交流が盛んになってきた。そこから気の合う人達らでグループが形成されるようになった。そこから、所謂身内ネタや内輪ノリが生まれることで、より小グループでの活動が活発化した。

 

仲間内での交流が増えるにつれて、「ゲーム>動画作成」になっていきボイロトゥーン2の動画の投稿数が減少傾向にあった。そこから生まれたのが「うぽつ煽り」である。動画投稿が滞っている人に「うぽつ!」と言うことで投稿を否応なしに催促することだ。私もされた経験があるので感想をいうと「この内輪ネタは創作意欲を削ぐ限りなく嫌いな言葉」である。その上、これをする人間は「投稿が目的」で内容については興味ないのである。

 

仮に、動画を面白く編集も凝ったものにしようとネタを考えていたり、ふとした拍子に浮かぶのを待っている最中では、尚更やる気も削がれる。(もちろん、忙しくて作業ができないことも含まれる)

 

かくいう私も、最終回の動画を投稿した後に「次はいつ?」と聞かれたのはよく覚えている。次を期待して待ってくれているのは無論嬉しい。しかし、自分の好きで趣味としていることを、他人が強要し始めた途端に好きなものが好きでなくなるというのはよくあることだ。今回はそれ。

 

老人が病院の待合室に集まるような気質は改善すべきである。もし、本当に動画投稿と向き合うのであるのであれば、良い点を話し合うといった動画鑑賞会のような方向性が大切である。

 

今回、文章にしてみて頭の中が整理された。気持ちの再確認や、振り返ってみてこんな事があったなぁという起点の材料になればと思っている。まだ、ボイロトゥーンのコミュニケーションツール化や大会関連など思い残すこともあるがお門違いなのは理解しているので明文化はしないでおく。

 

ともあれ、別にボイスロイドやスプラトゥーン2が嫌いになったわけではない。もちろん、それらの界隈も。だた少しだけ...しんどいな...ってね。